
もちろん竹島問題に関して堂々と真正面から論じれる程の知識も教養もないわけであるが、昨今の竹島問題を見ていていくつか考えさせられる所があった。
どうも韓国のマスコミがひたすら感情的な報道に終始しているのはともかく、それに釣られて日本のマスコミもお付き合いしたいのか感情的な報道が目立つのである。
こんな調子で報道しないと売れないのか広告との絡みで特別の事情でもあるのかは定かではないのだが・・・。
韓国の報道内容を見た最初の率直な印象…「確か日本も戦前はこんな調子の報道がされてたんじゃなかったっけ?」というものであった。こんな印象を受けるのは僕だけであろうか・・・?
マスコミが戦争やら国際対立を煽る国は滅ぶ・・・日本はそれを嫌という程経験したはずである。
民主主義の成熟度はマスコミ報道のレベルに比例するとも聞く。
マッカーサー来日時の頃には小学校レベルだったかもしれないが、戦後60年を経過し、今や中学から高校…ひょっとすると大人のレベルまで近づいているはずだと思いたいのだ。感情的な報道に終始する韓国マスコミの論調に同調してお付き合いする必要はあるまい。
それよりも個人的にも是非とも知りたいのが…
なぜ韓国はこんな小さな島を国際的な大問題として取り上げる必要があるのか? という点である。感情的なやり取りに終始した所で、とどのつまりは水掛け論に終わるのが関の山であろう。だとすれば、むしろそんな小さな島にこだわらざるを得ない韓国側の必要性にこそ焦点を当てるべきではあるまいか?この点に焦点を絞った報道が余りにも少ない気がしてならないのだ。そしてそれこそが最も知りたい点である。
竹島(韓国名:独島)は日比谷公園と大差ない面積しかなく、そこでの利権は漁業権程度なのだという。この際、日韓友好を阻害しうる小さくて大きな問題としていっそのこと爆破してしまえとの意見まであるらしい。
日本側としては、基本的に
・サンフランシスコ講和条約の際、韓国がアメリカに対し「竹島が日本により放棄された領土である」と認めるよう要望書を提出したが、アメリカがその要望を拒否した点。
・日本は国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国がこれを拒否している点
を軸に広報を徹底するしか手はあるまい。
忘れてはならないのが、つい最近まで韓国の現政権は牛肉問題などで低支持率にあえぎ、崩壊寸前だったはずである。そこで韓国の外交上の錦の御旗である「反日」の象徴として竹島問題がより一層クローズアップされるのは韓国側にとって不可避の選択であり、ある種奥の手であろう。
つまりは、内政上の問題を外交問題に摩り替えて支持率と求心力の挽回を図ろうとする政治上の常套手段と見てもあながち考えすぎではあるまい。
また、話を別な角度から見ると、外交という問題をもう少ししたたかに考える必要もあるのではないかと思えてくる。
日本は敗戦を経験して、平和国家として生まれ変わることを誓ったのは間違いない所であろうが、外交上シビアに見ればアメリカの核の傘の下で自国の金儲けにせっせと専念してきただけだ、と考えることも可能なはずである。つまりは、自前で一から防衛策を講じるよりも思いやり予算というコストと引き換えにアメリカという最強の国防のスペシャリストを雇って自己の商売に専念する方が合理的だとの考えを選択してきたに過ぎないという見方である。
例えば、相手がピストルを構えて主張しているときに、丸腰で平和と協調を唱えるだけでは単なる絵空事に過ぎない・・・それが国際社会の現実なのかもしれない。
ガンジーの非暴力不服従主義は並の決意では取り得ないすさまじい究極の選択肢であろう。また、現代日本の経済力からは武器を持って立ち上がろうとしないというのも国際社会から見れば余りにも的外れなのかもしれない。
そして国防との絡みで外交問題がクローズアップされたときに最近いつも頭に浮かぶのが…
相手がピストルを持って主張してきた場合、こちらもピストルを持って主張して、「こんなバカなことはやめて丸腰で腹を割って話し合おうや」と言うことはできても、全くの丸腰で話を聞いてもらえることが可能なのであろうか・・・?
ということである。
たとえ日本が丸腰で主張するにせよ、その背後に同盟国たる世界最強の用心棒たるアメリカがいてくれないと・・・話にすらならないようにも思えてくるのだ。
仮に、国際社会の圧力とやらを考慮に入れるとしても、その実は大国の軍事力であり、その背後の経済力が不可欠であろう。
だとすれば、日本も究極的には核武装さえも視野に入れるのか・・・憲法上の問題は?歴史上の問題は?…などなど問題は山積している。
この点、相手側の韓国を外交上もう少ししたたかに観察してみる必要もあるのかもしれない。
確かに、日韓併合やら様々な歴史上の悲惨な仕打ちを与えてきたことは争いのない所であろう。これらは二度と繰り返してはならない忌まわしい歴史である。
しかし、考え方によっては、
・日清戦争後の下関条約まで韓国は独立国でさえなかった
・日韓併合によって人口は倍増した
・戦争をきっかけに国家予算の10倍以上(諸説あり)の補償を得た
等の見解もあり、名を取られた分実を取って、国家再建に役立ててきたと考えることも可能であろう。つまりは日本以上に外交上韓国はしたたかなのだと捉えることも可能なはずである。その為の錦の御旗こそが「日帝36年」というキャッチフレーズだったのだという解釈もあり得るのではないだろうか・・・。
そして、聞いた話では韓国では憲法上いまだに思想良心の自由が保障されておらず、政治的に自由な批判が許されないそうである。ましてや、共産主義を掲げる中国においては言うまでもあるまい。だとすれば、すべての国内問題のガス抜きの奥の手としていまだに「反日」がまかり通っていると考えることは穿ち過ぎであろうか…。
もちろん、言うまでもないことだが、個々の韓国の方や中国の方に対する過度の身構えは不要である。外交上の戦略は個別の人間関係や民間交流の障害とは別次元の問題である。
もっとも、戦前から日本が経験してきたように、民主主義の成熟していない国では「行政の政策方針」が個々の信条に摩り替えられてしまうのに不可避な部分があるのもやむをえない所ではあろう。この点は勘違いしないようにしたい所ではある。
逆に言うと、民主主義の成熟していない国においては、行政の方針が個々の信条の隅々にまで浸透し、それを個々の人間が無意識の内に自らの信条と勘違いしうる程、見事なまでに中央集権と洗脳が行き届いており、行政による徹底した国民のコントロールが可能なのだという解釈も可能ではある。
つまり、「個々の信条=行政の方針」という図式がどこまで崩れているかが民主主義の成熟度の一つの指針にもなりそうである。とはいえ、実は単純に考えると、この指針は行政がどこまで国民の多様な見解を許容しうるかという問題に他ならない。
もちろん、かかる問題は究極の所、行政主導か国民主導かの問題に帰結し、その境目は微妙な問題であるとともにそれこそが民主主義国と非民主主義国との違いに他ならないわけではあるが・・・。
ともあれ、隣国を友好の相手と見ると同様に、外交上は利害争いが不可避なライバルとして見るしたたかな二枚腰が必要とされる所ではあるまいか?いや、それこそが国防であり、外交問題に他ならないと考えることも可能である。いずれにせよ、日本は韓国や中国の感情論に惑わされずに、鋭くその真意を探って外交上のしたたかさを身に着けることこそが肝要であろう。
例えば、外交問題と並立しうる国防問題が憲法上や歴史上の問題が山積するする為に進まない状況の下、あえて外交上何とか打開策をしたたかに打つとすれば・・・アメリカのマスコミを牛耳るユダヤ人社会に資本を注ぎこみ情報戦で有利に持っていけるよう仕掛ける・・・など方法はありそうなのだが・・・(日本はご存知のように杉浦地畝氏の業績の関係でユダヤ人社会に比較的受けが良いそうである。これを使わない手はあるまい。)。
また、前述の国際司法裁判所の件でもわかるように・・・実はこの問題は韓国の文脈にあっては単純な「国内問題」であると捉えるほうが筋ではあるまいか?つまりは白黒はっきりさせることよりもその主張をし続けることこそが現政権にとっては最大の政策であり行政方針であると解釈し得るのではないだろうか・・・。逆に考えると、「日帝36年」をいまだに掲げなければならないということは、国家体制がその時代からまるで変わっていないせいだという解釈も可能な気がしてならないのだ。
他方、そのような状況にある時こそ我が日本のマスコミの皆さんには感情論に振り回されずに是非ともしたたかな分析とその材料提供をお願いしたいのである。
戦後60年以上を経て、成熟した大人の民主主義国としての「報道」とやらを見せ付けて頂きたいし、それに相応しい冷静沈着な「報道」こそを大いに期待してやまないのだ。
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