いよいよ今週末から、正式にリリースツアーが始まります。 今回は基本僕のDJツアーとなります。
アルバム・リリースから1月経ちましたが、想像以上に様々な方からの 反応を頂き改めて・・・・沢山思う事もありました。いやぁ凄い年でした。
そんな様々な思いも、一緒に楽しく激しく語り明かしましょう。 そして一緒に負けずに楽しい汗を(笑)
今週末。ツアーの第一弾は長崎からとなります。
Feminine Magic presents
『COLDFEET presents MJ THE TOUR Release Party in Nagasaki』
2009.12.11 (Fri) @Orb(Ayer's Rock) 22:00~ Adv.2,000yen(Limit150)Day.2,500yen
Special Guest DJ : Watusi (COLDFEET)
DJ : Furusawa/YoYo/Takakura/Takuto/Trendy...
Ticket Info.095-823-3459(Citrus Cafe)
※入場時に別途ドリンク代500円をご用意くださいませ。
僕は00:30からの予定です。
最寄りの皆々様、大集合よろしくお願いします(笑)
そして・・・・このアルバム付属の投げ込みに実は長い文章を書きました。 投げ込みと言えど基本、購入者だけの物とも思っていますので、僕個人は今まで紹介して来ませんでしたが、今回はツアーが始まるこの機会に、改めてこのアルバムについて、この文章を使って話しておきたいと思い立ちました。こんなものでした。
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はじめに。
「マイケルなら歌うよ!」2007年夏の話。札幌のプロ デューサー、堀内くんからカバー・プロジェクトをやらないかと相談された時のLoriの返事だった。ご存じない方も多いかと思うが、マイケル・ジャクソンはプリンス等とならぶ「カバーの許諾を得るのが困難なアーティスト」として業界では有名な男。なのでジョークまじりに、でも生粋の80's アメリカン・ガールである(実はムーンウォークも出来る/笑)Loriは「純粋に大好きなアーティスト」として彼の名前を挙げた。
それから1年半過ぎた2008年の暮れ。「遂にマイケル側からOK出ました。COLDFEET単独のマイケルのカバーアルバムが作れます!」同プロデューサーからの突然の台詞に僕らは仰天した。彼はその1年半、本国の著作権サイドとコンタクトを続け、ねばり強い交渉の果て、遂に許諾を得たというのだ。目を大きくしたまま僕らは言うしか無かった。「それは・・・や、やるしか無いね」。戸惑いは消えなかったが、それでも2人共チャレンジするのに相応しすぎる相手であることは十二分に感じてしまっていて、僕はLoriの一言にやられた。「これくらい音楽やって来て、今本気でマイケルを、そのサウンドを勉強できる機会を得られる事は最高に幸せな事じゃない。」・・・時を同じくし復活のツアーを行うと宣言したマイケルの応援としても絶好のタイミング、2009年の始まりと共にプロジェクトは動き始めた。
まずは選曲が予想以上に困難だった。自己満足的にリハーモナイズされたマイケル曲なんて無意味と感じた僕らは基本もうコピーで(笑)。されどリズムやBPMに関しては、今フロアで踊れるものを目指そう、という決め事を作りデモ作り。そんな僕らに立ちふさがったのはやはりオリジナル・マイケル・ジャクソンの壁。いやぁ、何曲デモを作った事か(苦笑)思えば僕はコピーってのがずっと大嫌いだった。でもこのアルバムは一生懸命コピーしたいと思った(笑)。参加ミュージシャンの多くにも「オリジナル・フレーズをコピーしてきて。」と伝えた。でも録音前にコピーしたフレーズを自分のものにしてきてくださいとも伝えた。そう、同じフレーズ、同じメロディが集まっているのに、僕らのアルバムになる事が最初の目標となった。
実は僕らにとってマイケルと言ったらアルバム「オフ・ザ・ウォール」。もうこのアルバムをカバーすれば良いと思うくらい好きだったが、そうした苦行のようなプリプロダクションの果て(コピーだけではいかない楽曲もどんどん多くなり)、実際に残った曲は多岐に渡ったものとなった。沢山の入り組んだ思いの果て、次第に参加を呼びかけるゲスト・ミュージシャン/アーティストの数も爆発(笑)「これはいよいよマイケル・パーティだ。」そんな事を言い合って、笑っていた。そしてそんなゲスト達のダビングを翌週からに控えた6月26日の朝。誰もが想像していなかった「あの日」が・・・・・・突然やって来た。
作りたかったのはハッピーな応援アルバム。追悼のアルバムなんて作りたくもない(まったく僕ららしくもない)。この企画は中止しよう。なんとも重いモノを背負ってしまった自分がいた。近しいスタッフの多くも最早彼の死に便乗したようにしか見えない、この企画を進める事に反対していた。マイケルの死後何日も、何も決められない進めない自分達。。。。。。。
毎日晴れない梅雨空を見上げながら過ごす僕の、真っ白になった心のその底に少しずつ少しずつ見え隠れしてきたもの。それは沢山の友人達の死に大きく揺り動かされて来た沢山の大切な過去の思い出と、ここまで大切に作り上げて来た作品を世に伝えて行きたいというシンプルな感情。マイケルの死から一週間過ぎた日、スタッフを集め長いミーティングを行った。沢山の意見を聞いた後、僕はこう言い放っていた。「人が何と言おうと構やぁしない。人の噂なんぞせいぜい数年の話。最高の音楽は未来永劫残って繋がって行く。そしてそんな濃厚で前だけを向いたハッピーなアルバムを作りたい。勝手を言わしてもらえば、マイケルの誕生日の2日後の僕の誕生日までに仕上げて、マイケルが迎える事ができなかった51歳という年齢を、僕は最高の気持ちで迎えたい。」そんな戯言だった。
昔から自分の同い年といえば「マイケル」、「プリンス」、「マドンナ」と言って笑っていたが、それは彼らの黄金期にリアルタイムに触れ、過ごせて来た充実感を言いたかった。僕らはマイケルが突然いなくなった長く暑いひと夏の間、そんな気分を共有する近しい世代のアーティストや、世代は違えどマイケルがどれほど自身のバックボーンに染み付いているかを語るアーティスト達と、スタジオで沢山の「最高のパーティ」の時間を過ごした。そしてアルバム制作の最終行程、マスタリング。僕らはいつも通り、やはりマイケルが復活のツアーの地と定め、されどたどり着けなかったロンドンへと向かった・・・・ついにアルバムが完成する朝。見上げたロンドンの空は青く澄み渡っていた。悩み続けた僕にも、ようやく心の底から嬉しい気持ちが広がって行くのが分かって、少し泣きそうになった。
彼の訃報に、「ひとつの時代が終わった」みたいに言う人が沢山いた。いえいえ、そんなもん決して終りやしませんって。音楽も時代も、ずっとずっと繋がって、続いて行くだけ。なのでタイトルも「MJ THE TOUR」とした。終る事の無い旅を、ずっと繋げて続けて行こう。これはそんな想いの僕らが「作らざる得なかった」アルバムです。
Watusi (COLDFEET)
'09. 6. 26 Tokyoの空
'09. 9.14 Londonの空
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みんなの街に向かいます。繋がる為に。よろしくお願いします。