NHK教育テレビの「知る楽」という番組で、4週に渡ってヴィクトル・スタルヒンを特集していた。ワタシの認識は戦中に巨人軍で活躍した外国人投手ということくらいだったのだが、今まで知らなかったさまざまなことを知ることができた。
スタルヒンはロシア人で、ロシア革命の際家族で亡命。日本国内を転々とするが、最終的には北海道の旭川に落ち着いた。学校の野球部で投手として力をつけ、
甲子園出場を狙うがそれはかなわず、やがてプロ野球巨人入りする。沢村栄治との2枚看板でエース級の活躍をしたが、戦後はパ・リーグの球団に移籍。トンボ
ユニオンズで通算300勝を挙げた。引退後は芸能界で活動していたが、自動車事故で亡くなってしまう。40歳という若さだった。
ロシアからの亡命したということで、たびたび運命に翻弄された。当時の事情なのか日本国籍を取得することはできず、無国籍のまま生涯を終えたそうだ。戦中
は、無国籍であるがゆえに出兵はまぬかれたが、敵性外国人として日本人名を名乗らされ、それだけではなく軽井沢に幽閉された。戦後、今度は勝利した連合国
側の人間として扱われ、プロ野球にも復帰。しかしスタルヒンは自分をひどく扱った巨人に戻ることを拒否し、パ・リーグの球団を選んだ。
かなりの長身から振り下ろされるスピードボールで次々に当時の記録を作り、晩年は技巧派として勝ち星を挙げた。金田正一がコメントしていたのだが、スタル
ヒンが持つほとんどの記録を後年金田は塗り替えたが、ひとつだけ届かなかった記録があった。83完封で、これは今もって破られていない日本プロ野球記録で
あり、そして恐らくは今後も破られることはないだろう。通算勝利数が303勝なので、実に4勝のうち1勝は完封していたということになる。
スタルヒン以降、こんにちまで数多くの外国人選手が日本プロ野球にやってきたが、特に投手となると、スタルヒンほど日本に順応しまた結果を残した人はいな
いと思う。ただ、現在日本ハムの投手であるダルビッシュは、この番組を観た限りでは投手としてのスタルヒンのイメージにとても近いように思える。