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Tantan1945



Last Updated: 4/18/2009

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Gender: Male
Status: Married
Age: 64
Sign: Virgo

City: 済南市長清区
State: 山东省
Country: CN
Signup Date: 7/14/2007
July 2, 2008 - Wednesday 

Current mood:  sneezy
.. ..
6月20日(金)
目覚ましなしで5時におきれるようになった。今日はさすがゴミ拾いは、止めてシャワーをして、旅程の確認をする。ホテル、航空便ともOKである。8時に出発する。崔さんは従姉妹を迎えるために、駅まで一緒に行ってくれる。荷物はそれ程多くはないが、パソコンが重い。7時から断水になるとかで、早めに済ませておく必要がある。8時に二年生4名が見送りに来てくれて、崔さんと于さんが新幹線の中まで荷物を運んでくれた。最後は涙を流しながら見送っていた。3時間で西方駅に到着、3年生の卒さんが出迎えに来てくれていた。早速近くのレストランで焼き餃子と青島ビールを飲む。暫く話をしてから、空港へ兄を迎えにリムジンバスで出掛けた、55分丁度に到着、飛行機もついたところであった。暫くすると兄が元気な姿で現れて、一安心する。帰りもリムジンで帰るが、降りるところが解らなかったが、カルフールで降りる。ここからホテルなで目に前にあった。荷物を部屋に運んで、ホテルのレストランで日本そばとビールを飲む。9時半に帰ってInternet接続を試みたが、うまくつながらず、何人もが来たが、駄目であり。その後解決できずであった。 青島の町はさすがきれいで、気持ちが良かった。やはり都会である。洗練されている印象が強かった。

6月21日(土)
6時に起床。昨日は寒かったので、少し喉が痛い。7時に和朝食を食べて、散歩にです。近くにJuscoがあり、街の真ん中にこのような大きな店を作るとは、さあすが中国である。9時過ぎに卒さんともう1人の友人が来てくれて、バスで中山公園へ、リフトで往復40元に乗って、テレビ塔に登る。これが50元だったが、リフトは乗った価値が十分あった。お陰で高所恐怖になり、テレビ塔から下を見るのが怖くなってしまった。あいにく霧で視界が悪かったのは、残念だった。昼食は海鮮料理ということで、海水浴場まで出掛けて、やっと決まり、鯛を煮付けて貰った。 その後桟橋を散策して、Olymoicヨット会場を見学して、コーヒを飲んで帰ってきた。ホテルの部屋を変えてもらってやっとInternetが繋がり、メールを確認した。森氏からChatがかかり、喜んでくれた。 夕食はホテルのレストランでうどんと肉どんぶりでまたまたお腹一杯になる。日本のプロ野球の実況があり、巨人がソフトバンクに延長12回サヨナラ勝ちをしてくれて、ビールが美味しかったが、青島の缶ビール(350CC)がなぜか15元もするのは解せなかった。

6月22日(日)
5時に起きたが、早すぎたので、再度横になって、6時に起きて散歩に出掛ける。Plympicヨット会場を再度見て回るが、もう沢山の人で一杯、ジョギングをしたり太極拳をやったり散歩をしている人が目立つ。1時間少々でホテルに帰り、今朝は洋朝食を食べた。卵とベーコンであった。朝撮ったツツジのみずみずしい写真を早速PCに取り込んでおいた。 吉治さんと頼子姉さんと話をして、元気でいることを伝えておいた。 今日のスケジュールは、海底公園行きである。海水が綺麗なので、十分楽しめそうである。9時にホテルを出発した。入園料は120元で高い。それ程見るべきものは無かった。昼食を食べて、海水浴場に沿って歩いて、魯迅の別荘地へ、ここの入園料7元は高い。迎賓館はそれなりに、いいものであった。帰りは遠回りして帰り、カルフールで買い物をして、夕食をして、ホテルへ帰る。 亜暖さんから電話があり、明日は9時に来て、最後の青島を楽しむことにしたい。
少し疲れて、朝の起床は6:30だった。朝食を食べてから散歩に出掛けたが、Olympic会場には入れなかった。9時に王亜暖さんが青島土産を持って来てくれて、タクシーでビール博物館に行ったが、残念ながら閉まっていて、見学できず、仕方なく、極地海底公園に行く。何と60歳以上は半額の60元で、70歳以上は10元というサービスは嬉しかった。イルカのショウーはなかなか素晴らしいものであった。1時間程見学してからマクドナルドで昼食を食べて、青島ビール博物館に行き、ビールをたらふく飲むことができた。その後夕食はお粥を食べに行く、お腹一杯になり、ヒラメの姿焼きを食べて、75元/人であった。今日で大橋先生と別れることになり、明日は早朝にホテルを出ることになっている。 夜蘇州の邵氏とChatする。26日に蘇州に入ることを伝えておいた。また再会できるのを楽しみにしたい。 于翠娜さんに電話したが、繋がらないので、諦めた。 末永氏は何故か応答がない。 由香ちゃんからメールが入っていた。ウイルスかいたずらメールのメッセージがわからないとのことであったが、字が小さすぎて読めないことを返事しておいた。

6月23日(月)
5時半と少し早めに起きて、朝食を食べてから、チェックアウトを済ませて、バス停へ、ところが、6:40分しかないので、間に合いそうにないとのことで、慌ててタクシーで飛ばす。高速道路を通ってくらたので、7時過ぎには空港に到着することが出来てほっとした。E-チケットを烈さんが買ってくれていたので、パスポートを見せるだけでOKであり、なかなか便利である。おかげでエコノミー席の1,2番に座ることができた。1時間で上海へ、梅雨で霧が立ち込めていて、タワーも霞んでいたが、ホテルへ直行して、直ぐに部屋に入れてくれた。Internetも接続できたので、早速刑さんに着いたことを知らせておいた。 豫園でセルフサービスの昼食を食べてから、初めて"豫園"の中を見学した。40元と高い気がしたが、なかなかいいものであった。 その後歩いて、外灘の堤防を歩いてからトンネルを見つけて、浦東タワーまで出た。無人の電車であった。263mの展望台行きの100元の切符を買って登る。2年前からかなり値上がりしていた。案外空いていたので、寒いほどであった。2時間ほど粘って、明かりがつくのを待っていたが、痺れを切らして、近くの店で秋刀魚、野菜のてんぷら、ラーメンとビールで夕食を食べて、再び外灘の堤防を歩いてホテルに帰って来ることができた。8時半過ぎであった。刑さんと烈さんと連絡を取って明日再会することにした。

6月24日(火)
6時半に起床。散歩もせずに朝食のコーヒ用お湯を沸かして、パンを食べる。8時半にホテルを出て、上海博物館へ。歩いて10分程で着いたが、何と無料になったそうで、セキュリテーが厳しくなり、一台の機械で処理するために、延々2時間以上待たされてしまった。中での食事は高くつくと思い、弁当をコンビにで買ってきたが、食べるところはレストランしかなく、11時半過ぎに出掛けて、ビールを注文して食べた。見学は2時間も掛からなく、殆んど歩いた回った。2時半に出て、南京東路を探すがなかなか見当たらず、何度も人に聞いてやっとたどり着いた。さすが上海一の歩行者天国で人出もすごい物であった。ケンタッキィーでコーヒを飲み、やっと4時前になって外に出たら、刑君から電話が入り、場所を教えたが、伝わらず、隣の中国人に代わってもらって説明して貰う。しかし7時にホテルに来てくれることになり、外灘を散歩して、ホテルに6:45に帰ってきたら、まもなく電話があり、フロントまで来てくれていた。奥さんもいっしょであり、早速結婚祝いの夕食をたべるために近くのレストランへ行った。お土産は大阪のものであったのを渡すと、何と昔貸してあったグラブを持ってきてくれていた。社会保険庁に問い合わせをするための委任状を3通念のためにもってきていたので、日本に帰ると直ぐに問い合わせをしてあげなければならない。 シーフードの食事は蟹もあって本当に美味しかった。3ヶ月で元気になって再会でき、色んな話で花が咲いた。 9時にホテルに帰ってきて、明日は7:45にホテルを出る必要があるとのことで、早めに寝ることにした。今日も写真は200枚程撮った。

6月26日(水)
6時に起きる。パンとコーヒで朝食を取り、タクシーで上海駅へ。余りこんでいなくて、15分ほどで着いた。1時間以上待つことになった。電車は新幹線で蘇州まで30分足らずであった。まずホテルにチェックインして、昼食を食べてから、世界遺産の留園へ、ところが70歳以上は無料であるか書かれていたが、中国人だけであるとのこと。思わず腹が立って、中国人という言葉は一言も書かれていない、書かれたものを見せて欲しいと言ったが、拉致があかず、呆れてしまって。入園せずの北寺に行った。ここは始めtだったが、結構良かった。 その後寒山寺は3年振りに行き、隅から隅まで見て回った。時間があったので、歩いて大学の星賀先生に会いに行き。明日荷物を送り出すことを伝えておいた。科技学院も9月からは新入生も増えて、忙しくなり、給料も300元アップするそうである。5時に辞して、ホテルへ、愈君が彼女を連れてくるとのことで、買い物をして帰ろうと思ったら、彼らたちが先にホテルに着いていた。直ぐに夕食は卒業と就職祝いをしてから、運河のクルージングを楽しんで、10時前にやっとホテルに帰ってくることが出来た。明日は虎丘山と博物館をみて、夕食は愈君のお母さんに会う予定である。 

6月27日(木)
6時半に起床したら、雨が降っていた。今回の旅行で始めてである。じっとホテルでいるのも大儀なので、タクシーで虎丘山へ行く。70歳以上は無料と書かれていたが、さすがしっかりとしていて、中国人に限ると書かれていた。仕方なく60元を払って入山した。二回目であったので、殆んど覚えていたが、雨が段々と激しくなってきて、大雨注意報の予測どおりひどくなってきた。雷もなっていた。 タクシーで蘇州博物館へ、何と2007年から無料になったそうである。閲覧は直ぐに終わって、忠王府を見て回る。此方の方が見るものが多かった。愈君から電話が入り、拙政園を見たほうがいいと勧められたので、100M程しか離れていないので、歩いていく途中から雨が更にひどくなってきて、園内を見て回るのは、無理と判断し、諦めてホテルに帰ってきた。3時過ぎであった。 パソコンの電源を入れて、上海の写真が500枚を超えていて、Picasawebのアルバム一つで収まりきれなくなってしまい、No.2を作ってアップした。 今朝がたChatしていた于翠娜さんから論文を送ってくれていたので、添削して送り返しておいた。6時前に愈くんから電話があり、タクシーで蘇州古来の料理を食べに出掛けた。両親と烈さんも来てくれて、愈君の卒業、就職祝いと、私の生き返ったお祝いということで、乾杯をした。料理は質素ながらとても美味しかった。かなり迷惑を掛けてしまったのは、申し訳ない限りであった。 歓前街まで歩いてKFCでコーヒを飲み、飛行機代2,180元を現金で支払い、烈さんが蘇州名物のお土産を買ってくれた。毎度ながらお世話になりっぱなしである。 10時前にホテルに帰り、明日は6:00AMに出発して、6:20のバスで虹橋空港へ向かわなければならないとのことで、早めに寝ることにした。三度目ながらまたもや荷物を送り出すことが出来なかったのは、残念である。

6月27日(土)
気になってしまい5時に起きた。コーヒが無くなってしまったので、昨日貰って帰った紅茶とヨーグルトで朝食を済ませ、6時前にチェックアウトをした。Citiカードが使えないとうことで、中国の銀行カードで400元を支払う。 タクシーでバス停へ、最後の乗客であった。1時間25分で虹橋空港に着いた、少し早すぎて、またKFCで20元のモーニングを食べた。SC(山東航空)というのを始めて知った。なかなかこじんまりとしていたが、サービスはそれ程でもなかった。1時間15分で済南空港に着いた。リムジンで済南駅へ、1時間ほど掛かった。9路支線で済南大学まで出て、そこで86路で大学へ2時間少々、22元で帰ってくることができた。変えると直ぐに邵さんが明日の切符を持ってきてくれた。新幹線が取れたとのこと。是で早めに青島着くことができそうである。 洗濯をして、崔さんから論文が来ていたので、色々と話をして、夕食がてら構内を散歩する。二年生数名がまだ残っていた。りんごや水と菓子を貰う。 そしてお土産のタバコを買い、生ビールを飲んで帰ってきた。 明日は8時に出発して済南駅に荷物を預けて、趵突泉公園と泉城広場をみてから青島に向かうことにした。

6月29日(日)
夕べは寝なれた床であったので、ぐっすりと眠ることができた。7時に起きて、昨日かってきたパンとコーヒで朝食を取り、荷物をまとめて、8時に寮を出た。維持間15分で駅についたが、彼女は現れず、45分になってやっと来てくれた。小荷物預かり所で荷物を預けると一個10元であった。タクシーで趵突泉公園へ、7.5元で行けた。入園料は40元もする。雨が降り出して、慌てて、傘をひろげて歩く。前回来たときに殆んど見ていたので、最後の所で牡丹の掛け軸を思い切って買う。100元と言われたが、80元にして貰い、団扇と雑誌で100元支払った。昼食は園内にあるレストランで水餃子と趵突泉でできたビールを頼んだ。公園の隣りが泉城広場であることがわかった。しかし晴れてきて暑い程照り付けるので、アイスを買って木陰で休憩した。川に沿って北門まで歩き、そこからタクシーで駅にも戻った。銀行で航空券の変更手数料400元がいるので、現金をおろして、早めに新幹線待合室に入り、1時間は程昼寝をして、4時38分の四方行きに乗る。3時間退屈であったが、何とか寝ることもなく過ごす。亜暖さんから電話があり、明日空港で10時に会うことになった。 ホテルまでタクシーで37元掛かった。お腹が空いて、お金も少なくなったので、カルフールでラーメンとビールを買って食べた。美味しかった。 明日は8時半のバスで空港に向かうことにする。横関さんから日本語教師の資格試験を受けるとのメールが入っていた。

6月30日(月)
6時に起きて、Olympicの会場を見ようと思ったが、中に入れず、まだ工事中であった。赤い大きなシンボルは完成して堂々と立っていた。ホテルに帰り朝食を食べて、8時直ぐに出発、バスは1時間で空港に着いた。国際線のところでチェックインをしようとしたら、早すぎると断られた。その時王亜暖さんが現れた。彼女はこの近くらしい。お父さんが3年前に交通事故に会い、まだ療養中とのこと。気の毒な話を聞いてしまった。お父さんは彼女が大学に行くことを熱心に勧めているので、彼女も頑張っているとのことである。夏休みは伯父さんが働いている翻訳関係の仕事をアルバイトするそうである。3年生の卒さんが同じ会社ではたらいているとのこと。世間はせまいものである。 MU525便は定刻に離陸しようとしたが、電気系統のトラブルがあるとかで、1時間少々まって、離陸した。2時間で関空へ、4ヶ月ぶりの日本である。何故か大阪の街はこせこせとしていて狭くるいい感じがする。それ程暑くもなく涼しいほどであった。電車で猪名寺まで兄と一緒に帰ってきて、由香ちゃんが伊丹まで送っていってくれた。これで11日間のツアーが無事終わった。疲れか眠たい。 何故か腹が空かず夕食も欲しくなかった。風呂に入り、中国に行っていた間に届いていた手紙類を整理する。SHIは今季も5円の配当になっていた。マグがしきりに犬のように匂いをかいでいるが、まだ懐いてくれない。2-3日様子を見ることにする。