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PITHECANTHOROPUS ELECTUS ex.週プロ野郎の“表現ジャンル”に関するコラム&レヴュー。現在、毎日更新継続中

鈴木健.txt OFFICIAL WEBSITE/Ken@suzuki.txt



Dernière mise à jour : 7/02/2010

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février 25, 2010 - jeudi 
神実況ドラマティック・ドリーム・トークライヴⅡ
~Fantasy,Reality,Happy and...~

★2月25日(木)東京・新宿ロフトプラスワン(18時30分開場、19時30分開始)
〔出演〕村田晴郎(サムライTV DDTプロレス中継「ドラマティックファンタジア」実況アナウンサー)&鈴木健.txt(同解説/元・週刊プロレス編集記者)
〔ゲスト〕アントーニオ本多
〔入場料金〕前売2000円、当日2500円(税込/飲食別)
〔発売場所〕DDT2・11後楽園大会にて発売。ローソンチケットにて発売中(Lコード:33431)
〔主催〕神実況推進プロジェクト
〔INFORMATION〕ロフトプラスワン:
http://www.loft-prj.co.jp/
Ken@suzuki.txthttp://www.myspace.com/welcomepolysics
〔問い合わせ〕ロフトプラスワン(TEL03-3205-6864)&神実況LIVE専用アドレス:
kami_jikkyoh@yahoo.co.jp

 


当事者2名の予想を遥かに上回り、海のリハク(世が世なら万の軍勢を自在に操る天才軍師)ばりに「この村田と鈴木をもってしても読めなかったわ」と、その一生の不覚っぷりを遺憾なく発揮させた第1回神実況LIVEから1カ月半。お待たせいたしました、2月25日に開催する第2回イヴェントのチケットをDDT1・3後楽園大会より販売いたします。会場売りに関しては、DDT&ユニオン1・24新木場、DDT2・11後楽園でも予定しています。ローソンチケットによる販売は、主に会場へ足を運べない皆様にご利用いただきたく思います。手売りの割合が多いことから枚数が限られていますので、お早目に押さえていただいた方が無難です。なお、当日券に関しては予定していますが、前回同様の売れ行きとなった場合は、若干枚となります。

先日、ゲストであるアントーニオ本多選手を交えて第1回目のミーティングをおこないました。こちらが考えている内容の出し物をやっていただけるかどうかの照会が主だったのですが、逆に本多選手から「自分も何かアイデアを考えて、よりよいものにしたいです」と積極的な姿勢を示していただきました。第1回の男色ディーノ先生といい、村田さんも私もゲストの方に恵まれています。前回は、男色先生の「あり得ないオークション」が業界内でも反響を呼びましたが、今回は「アントーニオ本多のあり得ないわけではないが貴重なオークション」を実施します。阿鼻叫喚となった前回を超えるか!?

“神実況LIVE”とうたいながらもトークと映像が中心となり、その場で生実況をつける割合が低かった前回を反省し、今回の第1部は実況がメインとなる内容を考えています。サブタイトルへあるように、前回の“ファンタジー”“リアリティー”“ハッピー”にもうひとつ、加えたいものがあります。それが現実のものとなるかどうかは、当日会場にお越しくださる皆様次第…といっておきましょう。今回の成否は“アンド”のあとにあるもの。なので、前回とはかなり違った内容を目論んでいます。皆様のお越しを、心よりお待ちしております。

février 10, 2010 - mercredi 
みちのくプロレスよりリリースをいただきましたのでアップします。

〔3・16大館のカード変更〕
風香が参戦する3・16大館市民体育館大会に、栗原あゆみの初参戦が決定。当日はザ・グレート・サスケ&風香VS気仙沼二郎&栗原あゆみのミックストタッグマッチがおこなわれる。当初は紫雷イオの参戦が発表されていたが、変更となった模様。
février 9, 2010 - mardi 

本日14時より、ホテルオークラ東京本館2階エメラルドルームにてアントニオ猪木氏のWWEホール・オブ・フェーム認定書授与式が催された。今年もレッスルマニア26前日の3月27日(現地時間)にアリゾナ州フェニックス・ドッヂシアターにて開催される殿堂入りイヴェント。それに先立ち授与式が執りおこなわれるのは今回が初であることからも、異例のセレモニーといえよう。もちろん猪木もアリゾナに渡り表彰を受けることとなっており(インダクターはスタン・ハンセン)、翌日のレッスルマニア26のイヴェント中に他のホール・オブ・フェイマーとともに大観衆の前で紹介される。

日本人初の殿堂入りということで、今年のセレモニーは日本でも初めて放送される(詳細は後述)。これまではレッスルマニアDVDの特典でしか見られなかったことを考えると、日本のファンにとっても朗報となる。この日の授与式では、まずエド・ウェルズWWEイーストアジア代表が壇上に立ち挨拶。

「このたびはWWEを代表し、アントニオ猪木氏を2010WWEホール・オブ・フェームにご招待できますことを大変光栄に思います。ミスター猪木は、まさにホール・オブ・フェイマーにふさわしい方だと思います。ミスター猪木は、デビューから50年にも渡りリング内外で選手として、そしてプロモーターとしてプロレス界に貢献してこられました。そして本日、アントニオ猪木さんを日本人として初めてWWEホール・オブ・フェームにお迎えできますことを我々は嬉しく思っています。こうして猪木さんの50周年にこうした機会を迎えられるのは、我々にとっても特別なことなのです。猪木さんはプロレス界のみならず他の業界でも多くの者がなし得ないことを達成しています。プロレス界を飛び出し、日本の文化の象徴として広く世間の人々に愛される存在となっています。その結果、猪木さんは世界中から尊敬を集め、プロレス界だけでなくエンターテインメントビジネスの世界からも尊敬を集める存在となっています。そして今回の猪木さんの出席により、ホール・オブ・フェームは日本で初めて番組放送されることになりました。もちろん、WWEファンの皆様は、殿堂入りの翌日のレッスルマニアでもその姿を見ることができます。私がここに立ち、猪木さんの紹介をするのは一日がかりでもできるほどなのですが、皆様もお待ちかねでしょう。それではご紹介します、ミスター・アントニオ猪木!」

『炎のファイター』が流れると赤いマフラーをかけた猪木氏が登場、報道陣も拍手で迎える。

「元気ですかーっ! 元気があればなんでもできる。ここから始まらないと始まらないものですからね。元気があれば殿堂入りもできるということで、今日は本当にありがとうございます。えー、WWEと…昔はWWFでしたが、大変いい関係で選手の交流もおこなってまいりましたが、この1020年はちょっと遠くなった中で、今こういう賞をいただくというのはありがとうございます。サンキューベリーマッチ(エド氏と握手)。ちょっと大変、賞をいただくということは気恥かしい感じがしますけども、何はともあれ元気がなくなった日本だけじゃなく世界もなんですが、プロレスというのは世界中どこででも通用するというか、私もいろんなところへ飛んでまいりました。特には北朝鮮であったり、ドバイであったり、あるいはブラジルであったり。WWEはいろんなところで興行をやっていますが、そういう中で見ればすぐにわかるという。難しいルールを勉強しなくても。そういう中で世界中に、グローバルにこれから若い人たちに、次の世代に向けていろいろとメッセージを送っていけたらいいなと思っています。私も現役は退いていますが、プロレスの関係を、絆を強くしながらそんな思いを達成していきたいと思っています。本当に今日は…真面目な挨拶が大変苦手なものですからね、お忙しいところ皆さん、ねえ、足を運んでいただきましてありがとうございました…そういう挨拶はしないことにしているんですけどね。普段は…バカヤローッ!ということで。ありがとうございます」

 

受賞の思いを語ったあと、エド代表より認定書が読みあげられ、猪木氏に授与された。そして撮影後、質疑応答に。テレビ向け、新聞・雑誌向けと分けて進行された。



テレビ向け質疑応答
――受賞した実感は。
猪木 こんなこと言っちゃ怒られるかもしれないけど、実感がなくてね。まあ、時間がすぎて盛り上がればひとつの役割をしっかりしなきゃいけないのかなと(思うようになるかもしれない)。
――アメリカの団体での受賞について。
猪木 ひとつだけ、私以外の選手たちにもっと活躍してもらいたいなと。かつてはWWEの選手も(新日本の)各シリーズに必ず上がっていましたしね。アンドレ、ホーガンしかり日本のリングからはばたいていった。それが全然違ってしまって。それは別にして、世界平和というか、必ずテーマがプロレスの場合はあるんで、そういうテーマをこういう硬直している状態で仕掛けていきたい。
――世界に元気がないので猪木さんに元気をもらいたいのでは。
猪木 そんな感じですね。正直言って俺もボロボロなんですけどね。
――式でも1、2、3、ダーッは聞けるんですか。
猪木 どうでしょうねえ、彼らはわかんないから。まあ、いろんなところでもやりましたけど…まあ、やってみます! ちょっと説明してあげないとアレなんで。
――そのまま現役復帰というのはないですか。
猪木 いやー…(苦笑)。もしかして、ンムフフフ。
――その場合、相手は誰にしますか。
猪木 え? 相手は…(ビンス)マクマホンはどうですか、ムフフフ。
――今、噂の朝青龍とかは。
猪木 そうですねえ、この話はあまり触れないようにしようと思ったんですけど。とにかく俺のところへ相談に来いと。家族のつきあいもしているんで、いろんなスキャンダルの経験者としては、味方というよりはひとりじゃないんだよという。彼もいろんな方向で可能性があるからいいんじゃないですか。
――引退はビックリしましたか。
猪木 なんとなく早めにこの時期が来るかなと。(相談は)まだないです。
――格闘家として通用するのかと思うんですが、猪木さんから見てどうですか。
猪木 いろんな選手が経験というか、いろんな場所で闘ってきた中で、こうすればいいのになっていう選手が残念で。教える人が少なくなってしまった。ただ、型を教えるんじゃなく本物を育てなければと思います。
――朝青龍に言いたいことはありますか。
猪木 なんかそこを引っ張っていくね(苦笑)。今は触れないっていってんだろ。
――WWEじゃないですけど、そういった場で活躍してほしいというのはありますか。
猪木 モンゴルにかぎらずロシアもそうだし、格闘技が今まで飯が食えなかったのが食えるようになったとある選手が感謝していましたけど、もっと連係がうまくいくようになれば選手も交流できるようになるし、スターを育てることもできるし。
――格闘技転身には賛成ですか。
猪木 まあ、いいんじゃないですかね。
――プロレス団体に勧誘するというのは。
猪木 その時はその時でまた話します。

質問がWWEとはまったく関係ない朝青龍に関するものばかりが飛ぶため、主催者サイドから「このへんで…」と入る。

――セレモニーではどういったことをやりたいと思っていますか。
猪木 日本だといろんなパフォーマンスをやってきましたんでね。ちょっと今のところ考えてないんですけど。まあ、真面目にやった方がいいかなと思います。ビンタ? ビンタもいいんじゃんないんですかね。その時にしかひらめかないんですよ。その瞬間に考えるから。まあ、素直にありがたいなと思います。いろんなところで賞をいただいたことがあるんですけど、別の意味でね。そういうものに対しては自分自身、淡々としているんですけど、日本の中では勲章はもらえないと思うんで、私は()。前に南極で(プロレスを)やろうよと言ったことがあったんですけど、またふと頭をよぎりまして。WWEとそういう話だったら組んでもおもしろいかなと。環境問題、温暖化問題など、なんか世界規模のテーマで世界を元気にやっていこうかと。百聞は一見にしかずじゃないけど現地にいって生の試合を見てもらう、北朝鮮しかりありましたが、今年はこの通り元気になったんで暴れまくっていこうと思っています。

最後に、テレビに向かってのメッセージを求められると「外国に向かってバカヤローッ!だと品がないんで」といって笑わせた猪木は「やっぱりどこへいっても通用するのは…元気ですかーっ!というね。元気があればなんでもできるって、この言葉をもうちょっと今度は英語でやるようにね」と、本番でも「元気ですかーっ!」をぶっ放すと公約した。

 

続いて新聞・雑誌向け質疑応答
――ビンス・マクマホンとはあまり関係がよくないと言われていますが。
猪木 別に関係が悪くなったわけじゃないんですよね。流れの中で私もリングから離れて国会に出てからね、それまではずっとつながりがあったんですけどね。最近はいろいろ情報も入ってきて、WWEともそれぞれが持っている分野、力を合わせたらおもしろくなると思います。すぐ提携とかっていう話はないですけど今回、そういう賞をいただいたのはありがたいと思います。
――先代のビンス・マクマホンと今の息子のビンス・マクマホンはどう違うと思いますか。
猪木 前はNWAという組織の中のWWFだったんですけど、親父さんは人柄もよくて。息子さんは逆にいえば経営者というか、本当にプロレス界を淘汰してしまった。そこが親父さんと違う部分ですね。経営者としては素質というか才能があると思っています。
――エンターテインメント性が高まった現在のWWEに対する印象は。
猪木 それはアメリカ的であったり、日本はサムライという精神的な部分ものがあり、それぐらいの違いがあると思います。ただ、時代が経過していく中でみんなも情報化の時代だからアメリカのプロレスもわかっている、日本のプロレスもわかっている。それを比較するのはファンの人がすればいいことで、私どもはIGFとしてストロングスタイルというのを続けていきたいと思っています。
――今現在、WWEに上がっているスーパースターの中で印象にある人はいますか。
猪木 いや、あんまり見てないですね。本当に我々の知っている選手からほとんど若い選手になってしまいましたから。時々アメリカに帰った時にチャンネルをまわして見るぐらいなんですね。
――同じ時代のアンドレやホーガンという世代以降になると見ていないと。
猪木 そうですね。この20年ぐらいほとんど見ていないんで。怒らせちゃうけど。
――石井慧が朝青龍といっしょにいるみたいなんですが、IGFに見に来いと呼びかけたりはしないんですか。
猪木 いやいや、来るなら来てくださいよ。

こうして囲み取材も終了。地上波のテレビカメラも多く入っていたためワイドショー等でも報道されると見られる。猪木氏自身、ホール・オブ・フェームはもちろんレッスルマニアも生で体感したことがないため現時点ではどれほどの栄誉なのかという現実感がつかめていない様子だった。やはりフェニックスに飛んで同じ時代に活躍した戦友や、その世代をリスペクトする現スーパースターたちに迎えられ、さらにアメリカのファンに迎え入れられた時に実感が湧くのだろう。はたして猪木氏は、本当にセレモニーで「元気ですかーっ!」を英語で叫ぶのか!?


〔放送スケジュール〕
3月27日(現地時間)開催「ホール・オブ・フェーム」はスカパー!、スカパーe2!のWWE PPV年間パック「WWEスペシャルリングサイド2010」(商品コード:W29/視聴料金1万4700円/13大会+2番組)を申し込んだ場合のみ視聴が可能。放送日時は現在調整中
3月28日(現地時間)開催「レッスルマニア26」は以下のスケジュールで放送予定
・スカパー!、スカパーe2!…4月8日(木)放送
J:COMItscom…4月9日()VOD配信
〔関連サイト〕
WWE日本語公式WEBサイト」http://wwe.co.jp
公式携帯サイト「
WWEモバイル」
http://m.wwe.co.jp
動画サービス「WWE Fan Nationhttp://wwefannation.fc.yahoo.co.jpPCのみ)

février 8, 2010 - lundi 

メインのキャプテンフォールイリミネーションマッチ、小島聡とTARUの大将同士が最後に残り向かい合った時、場内は「コジマ」コール一色に包まれ…ずに「タル」コールとほぼ真っ二つに分かれた。それはヒール軍団ブードゥ・マーダーズに対する後押しの声ではなく、どんな時も罵声を浴び続けながら常に全日本プロレスで嫌われ者を全うしてきたTARUに抱いた真の感情のように思えた。

2005年1月、前年にDRAGON GATEを退団したTARUはなんの後ろ盾もないままたったひとりで全日本に乗り込んできた。それまではクレイジーMAXの頼れるアニキ的存在…個よりもユニットに身を捧げる姿勢に、ダンディズムを見たファンは多かった。だがフリーとなったからには己の力でのしあがっていかなければやっていけない。年齢的にもその時点で40代に達しており、フリーの生存競争が厳しい全日本で定着するには実績面も含めハンディがあった。じっさい、武藤敬司は「ウチに来る前までのTARUのことは全然知らなかった」という。

VMをスタートさせた当初は、ガイジン勢を操る司令塔であり、スポークスマン的役割をこなし、まだ個がクローズアップされていなかった。全日本は勧善懲悪によりプロレスの素晴らしさを表現する団体。つまり、どんなにヒールが我が者顔で暴れても、最終的にはハッピーな結末を提供できる側の引き立て役とされてしまう宿命にある。2006年1月に小島聡の三冠ヘビー級王座に挑戦し、大阪府立体育会館でシングルのメインを務めたこともあった。同じヒールユニットだったRODを解散に追い込み、諏訪魔、小島を加入させて勢力を拡大させた。2006年には世界タッグ王座を奪取し、全日本で初のベルトを巻き、年末のプロレス大賞ではユニットとして最優秀タッグチーム賞を受賞。

何度か高笑いをあげたこともあったが、そのあとには必ずといっていいほどにVMにとってのバッドエンドが待っていた。諏訪魔も小島も軍団を離れ、世界タッグは一度も防衛できず。いっしょにやってきたメンバーが去っていく時のTARUは、悪ぶりながらもどこか悲哀を感じさせた。全日本のファンは、そういう背中をずっと見てきた。

負けたユニットが解散という条件は、団体にとってもリスキーである。現実的な話をすると、その関連グッズが販売できなくなる。ひとつのウリが消えてしまうのだ。しかしリスクが大きいからこそ、そこに熱が生まれる。小島と1対1で対峙したTARUが、かつて味わったことのないほどの視線がリングへ集中していた。

小島が新日本プロレスや移籍後の全日本で常に表舞台に立っていた頃、TARUは闘龍門とDRAGON GATEでバイプレイヤーに甘んじていた。業界的ポジションは、それこそ天と地ほどの差があった。それが今、お互いのユニットを背負う同じ立場で向かい合っている。4対4とはいえ、試合は30分になろうとしていた。ロングマッチの経験が豊富な小島に対し、TARUにはそれがない。にもかかわらずラリアットを受けては返し、カウンターのニールキックで反撃していく。

そして最後は現・三冠王者から完ぺき3カウントを奪取。その瞬間、場内を包んだのはF4が消滅する絶望感ではなく、ようやくTARUが報われた現実に対する喝采だった。白のシャツとコスチュームでこの試合へ臨み、いつもなら客席へぶちまけるTARU水をひとりのお客さんに渡して頭からかけさせたのを見るにつけ、彼は真の意味でこの試合に生き残りを懸けていたように思う。たとえ5年間定着していても、フリーであるかぎりは永久にこのリングへ上がれる保証はない。こうした舞台が与えられた時に、それに見合った仕事ができるかどうか。結果、TARUは“勧悪懲善”もクリエイトできる仕事人だった。

否、この日に関しては善も悪もなかった。5年もの長きに渡り苦渋と辛酸を舐め続け、それでも腐ることなくヒールユニットの立場から全日本を盛り上げてきたTARUが主役となったドラマに、酔いしれたのだ。おそらく本人は「こんなもん、当たり前や! ワシはこんなことで満足なんかしとらんぞ」と言うだろう。この日、送られた「タル」コールも、明日にはまたブーイングに変わっているかもしれない。

それでも5年間、TARUを見続けてきた者のひとりとして、この日の晴れ姿は深く胸に刻まれた。「自分は世界で一番のクレイジーMAXのファンなんですわ」と公言してはばからなかった男が、そうした存在を失ってからプロレスに対するモチベーションを取り戻すには、並大抵の葛藤ではなかったはず。よくぞここまで…と思わずにはいられないのだ。

février 7, 2010 - dimanche 

昨日のマッスル&666合同ディナーショー終了後、場内が撤収に追われる中、その隅っこでマッスル坂井が大きな体を縮こませてご年輩の男性と話していた。目が合うや「健さん、ちょっと来てください!」と呼ばれたので、その方が知り合いで紹介されるものだとばかり思いいってみると、あまりにカオスな空間において密かに神懸かり的な出逢いが生まれていた事実を知らされる。

「じつはこちらのお客様、今日のコレがマッスルミュージカルだと間違えていらっしゃったらしいんですよ。でも、VIP席で最後までご覧になってくださったんです」

マッスルとマッスルミュージカルを間違えた――これまでありそうでなかった満塁ホームランがついにカッ飛ばされたかのようなトピックである。ジョークとして出される“もしもの話”が現実となったのだ。普通、マッスルミュージカルのつもりでやってきてアレなアレを見せられたら「なんだアレは! 全然違うじゃないか! いったいどういうつもりなんだ!!」と大激怒してもおかしくない。にもかかわらず、目の前の紳士は汗でメイクが流れ落ちた坂井を見ながら、ニコニコしているではないか。

連れの方の話によると、10日ほど前にまったく別モノのチケットを購入してしまったことに気づいていたのだという。ならばそこで払い戻しを求めるなり、損はするが改めてマッスルミュージカルのチケットを押さえるものだが、この方はそこからネット等を調べマッスルについて勉強した。そうしているうちに興味が湧いてきて、そしてじっさいに見て大いに楽しめたというわけだ。このポジティヴな姿勢はどうだ。

「プロレスはずっと前にみちのくプロレスを見にいったことがあったんですよ、福島の原ノ町だったかな。グレート・サスケが出ていたね。あと、カニのマスクがいたな」「愚乱・浪花っていうんです」「そうそう! あとは…囚人服を着た太ったレスラー」「ザ・コンビクトのことですね」「そう、コンビクトだ! それで、娘を連れていったらその囚人服の男に追いかけられて泣き出しちゃってね。3カ月間泣きやまなかったよ、ハッハッハッ」

プロレスに関してはそれぐらいの下地しかないにもかかわらず、自分で勉強して入場料金分を楽しんだから、これはもうこの方の勝利。坂井はこの機にマッスルをもっと知ってもらうべく、DVDをお土産に渡そうとしていた。それでこちらに「どの回のDVDが一番伝わりますかね?」などと、ぬるい振りをしてきたので「何いってんの! 全部お渡ししなさい!!」と答えた。紳士の方は「いやいや、そんなにいただくのは申し訳ない」と丁重に断られていたが、最終的には受け取ってくださった。

そして「次はいつなんですか?」と興味を示された。5月4日に後楽園ホールで開催することを伝えると「メジャーなところでやるんだねえ。北沢とかではやらないの?」と、北沢タウンホールを知っていた。「それが…いつも抽選にいくのが遅れていまして…」と、絵に描いたような情けない理由をいかんなく口にする坂井。

とにもかくにも、次回もいらしゃっていただけるようだったので何より。たぶん、マッスルミュージカルからマッスルに流れた史上初のお客さんとなるのだろう。それにしても、なぜに坂井は恐縮しまくっていたのだろうか。お二人が帰られてから、いただいた名刺を坂井が見せた。そこには…目ん玉が飛び出るような大企業における仰々しい肩書きが並んでいた。「……えーっ!? こ、このようなお方がマッスルに興味を示されたと!」――ちなみに、この一部始終をサムライTVは映像として押さえていた。何かの特典映像として日の目を見る時が訪れるかもしれない。これぞ、ドキュメンタリーである。


février 6, 2010 - samedi 
細かい経過を追うのもアレかと思うので、とりあえず写真をアップします。ちなみに5時半開場、6時6分6秒開演予定が20分ほど遅れて開場、開演となる。

 

ライブレストランダイトーは、大久保職安通り沿いハナマサの地下1Fにあるイヴェントスペース。写真右の豪華なイス席が1万5000円のVIP席

 

会場のいたるところへブルース・ウィリスのカラーコピーが貼られていた。あとでその意味はわかる

 

総合司会は、マッスルサイドが女装はレアな鶴見亜門と、666サイドがレイチェル。亜門さんは女装でもオープンフィンガーグローブを外さない

 



第1試合はテキサスボックス6人タッグデスマッチ。相手を動けなくしたところで鈴木亜美の『BE TOGETHER』に乗ってボックスを決めれば勝ちというルール。亜門さんを絞め落としているえりんこが、最終的にはマッスル坂井に勝つ。ちなみに写真上で坂井の隣にいるのは男色先生女装Ver.

 

勝負が決したあと、流れで得意のダンスを披露し、魅了するレイチェルさん

 

最後は出場6選手とともに踊り、レイチェルさんが前まで見せた瞬間、6人が隠すというのがキメ。左から2番目は女装をする小仲=ペールワン。3番目は女装をする忍

 

第2試合はテキサスシンキングdisマッチ。なんだかよくわからないが、とにかくラップを口にしまくりdisるというルール。「音楽の力による両者の団結による勝利」なる決まり手でアントーニオ本多&ペドロ高石&ヤス・ウラノと宮本裕向&先輩&DJニラが団結し引き分け

 

会場を別角度から。観衆は666人(超満員札止め)

 

ゆるい展開に呆れた暗黒シャーマンモリノスさんがみんなを諌めるべく正座させる。先輩だけ不良座り

 

マッスルと666いずれにも上がっている趙雲子龍はどちら側から参戦するかで悩む。だが、どちらもブッキングしていないことが発覚。拗ねた趙雲はバックステージで刀を持ち、思いつめる。それを止めるべく休憩に

 

休憩明け後、なんとなく場をつなぐための試合として組まれた大家健vsTHE101(ザトウイチ)戦。大家がさんざんやられまくりながらも上から目線を崩さず「おまえはプロレスがわかっていない!」

 

 

 

敗れた方が東京を去り実家に帰るという条件でおこなわれた藤岡典一VS世界のPKによるテキサスフィストデスマッチ。藤岡はPKのパンチで吹っ飛ばされながら「キャラが被るんだよ!」などと叫びながら立ち向かう。PKのバックブローで万事休すかと思われたが、そこからハルク・ホーガンばりにメガネアップ。ビッグブーツからのハルクレッグドロップで逆転勝ち。フィストデスマッチと銘打たれていただけにパンチでしか勝負は決しないと思われていた中、3カウントで勝っても誰も気にしていなかった。敗れたPKは実家の福井に帰ると宣言したが、藤岡は「諦めたらそこで終わりだぞ!」と実家に帰ることを留める。そして「親が高齢のため」という理由で自分の方が愛知の実家へしばらく戻ると宣言。じつは実話です

 

ここまでの決まり手を並べると“ハル”クレッグドロップ、“まる”め込み、“げどう”クラッチ…ハル+まる+げどう=ハルマゲドンというキーワードが浮かんでくる

 

趙雲によると、ここにいる者たちはみな映画『アルマゲドン』に出たブルース・ウィリスの信者なのだという

 

観客へこのURLへアクセスし、掲示板に書き込むよう呼びかける。メインはそこに出た言葉通りに選手が技を出すというもの

 

書き込みを呼びかけ続けていたが、アクセスが集中すると弾かれてしまい書き込めなかった人たちが多数いたために伸びず。このへんは事前にシステム上の確認をしておくべきだった

 

そうこうしているうちにテキサスハルマゲ6人タッグデスマッチは時間切れの10分に。時間切れと同時にハルマゲドンが訪れる…

 

フルタイムとなったところで、厨房にて春巻丼をこさえるクレイジーSKBの姿が

 

ハルマゲドンではなく春巻丼だったというのがオチ。この春巻丼はVIP席の観客に振る舞われた

 

出演選手がステージに集結し、エンディングへ

 

最後はみんなで『BE TOGETHER』を歌って踊り終了。5・4マッスルハウス9に向けて、マッスルが再び動き始めた
février 6, 2010 - samedi 

1995年の話だから、現実感のない伝記モノではない。クリント・イーストウッド監督『インビクタス/負けざる者たち』は、ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国第9代大統領を描いた物語である。同国初の黒人大統領となったマンデラは、反アパルトヘイトによる反逆罪で1962年に終身刑の判決を受け、27年もの間を狭い獄中で過ごした。その後、人種隔離政策が国際的批判を受け、政情が変わり釈放。1994年に全人種参加の総選挙により大統領へ選出された。

人種差別をなくし、国民の士気を高めるべくワールドカップ優勝を目指すナショナルラグビビーチーム・スプリングボクスをバックアップ。国の政策により参加さえ認められなかった弱小チームが世界最強とされるニュージーランドのオールブラックスと優勝カップを争うまでの史実が描かれている。マンデラ役は、大統領本人が演じてほしいと依頼したというモーガン・フリーマン。72歳のベテランアクターが主役を務め、79歳のイーストウッドが総指揮を執る。この2人が、じつにカッコいいジジイなのだ。

人種差別を否定し「虹の国」を目指した大統領を演じるフリーマンがカッコいいのはもちろんだが、スクリーンに出演していないイーストウッドの姿勢が何気ない描写ににじみ出ており、それが物語の輪郭となって見る者の心に響いてくる。『ミリオンダラー・ベイビー』(フリーマンとはこの作品以来のタッグ)『硫黄島からの手紙』『グラン・トリノ』と、彼は人間が人間らしく生きるための題材を投げかけ続けてきた。今回の作品もその線上にある。マンデラは自分を27年間も収容所に閉じ込めてきた白人を赦す(ゆるす)ことから国を建て直していった。想像を絶する慈悲である。この史実を脚本で読んだ時、イーストウッドは監督の依頼を受ける気になったという。

つまり、映画という媒体を通じてこの世に未来永劫残しておきたいと自身が思うことに合致したのだ。パンフレットに掲載されたインタビューによると、映画を作るにあたりどのような思いを託しているかと問われたイーストウッドは「わからないな()。これが私のやることであるのは確かだ。自分が楽しいと感じる仕事をずっとやらせてもらえていることは、何ものにも換え難い幸せだ」と答えている。この言葉からは、特にメッセージ性らしきものは見受けられない。

でも、その裏には79歳という年齢と向き合うもうひとりの自分がいるはず。誰かが「人の価値とは、自分がこの世から消えても永遠に残り、語り継がれる作品をどれほど生み出せるか」と言った。イーストウッドはどれが自分にとって最後の作品になっても、それがずっと人々の中に何かを訴えかけ、残るようにという目的意識を持って俳優たちと向かい合っている…そんな気がしてならないのだ。

特殊撮影もなければ、あっと驚かせる場面展開もない。人間を人間として描き、物語は淡々と、それでいて深く刻み込まれるように進んでいくのがイーストウッドの撮り方だ。ましてや今作品はドキュメンタリーであり、マンデラという人物を忠実に描くことでそれらを伝える必要があった。創作ではない世界観をもって、人間の生き方を未来への遺産として形にする。

勝利を目指しチームが、国が、黒人と白人が一体になる。描かれるのは、いうまでもなく感動だ。ただし、スクリーンをつぶさに見るとそこに涙がない。感動につきものの涙が、だ。あるのは笑顔のみ。選手もスタジアムを埋め尽くした6万2000人も、国中でテレビに釘付けとなる国民も、そしてマンデラも…そこにあるのはみな笑顔なのだ。このあたりが、じつにイーストウッド的な撮り方だと思った。

涙によって確かに感動は描ける。でも1995年の南アフリカに必要とされたのは、それまでの暗かった過去を払しょくし、4300万人の国民が共有できる明るい笑顔だった。いみじくもパンフレットのコラムで評論家の川本三郎氏はこう記している。「イーストウッドの映画には、どこか照れというか恥じらいというか、感情が最後のところで抑制されたところがある」と。

抑制とはダンディズムである。それは“NOの精神”とも置き換えられる。自らの美意識が、過剰な主張を抑え込む。美意識は色気をまとわせる。今なおイーストウッドは、米映画ファンが選ぶ2009年の好きな俳優ランキングで1位に選ばれており、フリーマンもこのトシで女性にモテモテなのだという。いずれも激しいアクションが利かぬ年齢となりながら、人間としての色気は健在である証明とはいえまいか。

そんなカッコいいジジイ2人が、これまたカッコいいジジイであるマンデラの物語を紡いだのだ。ラグビーをまったく知らない人にもそのカッコよさ…言い換えれば人間が人間らしくあるために後世へ伝えていかなければならない価値観と尊さは、必ずや伝わると私は思う。

février 5, 2010 - vendredi 
ベースボール・マガジン社を退社したあと、お世話になった方、これからお世話になる方のもとへご挨拶に回った。今でも都合がつかずに不義理を働いてしまっているところには心苦しいかぎりだが、どんな相手に対しても「よろしくお願いします」と頭を下げられるのは、社会において正常な人間関係を築く上で当たり前のこととして備えておくべき姿勢だ。

ご挨拶へ伺うさい、礼儀として菓子折り等をお持ちするのも常識。「これ、つまらないものですが…」とは言いながらも、やはり先方に喜んでもらえるようなものであった方がいい。それで、何にするべきかデパ地下で悩んだりもするようになった。そのたびに、思い出すことがひとつある。70年代後半の小学校から中学にかけて読んだ漫画『マカロニほうれん荘』だ。

今なお語り継がれる同作品については、改めて説明するまでもないだろう。その中で主人公の沖田そうじが、確か叔母のもとを訪ねるという回があった。そこで膝方歳三(トシちゃん)と金藤日陽(きんどーさん)が自分たちもいっしょにいくと言い出す。2人が来たらドタバタなトラブルは避けられないとあり、そうじは激しく拒絶するのだが、例によってトシちゃんもきんどーさんも聞いちゃいない。

結局、3人で訪ねることになるのだが、出発直前まできんどーさんが「手ぶらでいくなんて失礼なことはできないでしょ!」と、お土産の用意にとりかかる。このお土産というのが世にも奇妙なシロモノ。きんどーさんはツナをはじめとする缶詰を何種類か集めると、それらのすべてを一度開けて中を取り出し、盛り合わせにしてから再びひとつの缶に収めるという作業をおこなったのだ。缶詰のままならなんら問題はないし、百歩譲って中身を盛り合わせにするなら皿の上に盛ってラップで包んだものを持っていけばいい。さすがにひとつの缶の中へ何種類かの“具”を入れるという発想は自分にはなく、作者である鴨川つばめのギャグセンスに圧倒されたのだ。

いったい鴨川氏は、何をモチーフにこのギャグを考えついたのだろう。あるいは、私が知らないだけでそういう風習がじっさいにあるのか。「トシちゃんカンゲキー!」やゴリラダンスなど、数々の名フレーズやヒットギャグを生み出したマカロニほうれん荘だが、個人的にはこのシーンを超えるインパクトはなく、30年以上経ってもこうして擦り込まれているほど。もしもこのことを憶えていて、シャレの通じる知り合いが存在するなら、私は明日にでもきんどーさんスタイルのお土産をこさえてご挨拶にうかがわせていただく。そのさいには「これ、おもしろいものですが…」と言ってお渡しするつもりだ。
février 4, 2010 - jeudi 
昨日の新北京プロレス新木場公演終了後、普段はドリー・ファンクJrばりの冷静沈着ぶりで鳴らすヤス・ウラノが「村田さん、健さん! ちょっと来てくださいよ!」と控室へ手招きした。この日は試合こそなかったものの趙雲子龍を応援するべく会場に来ていたウラノだが、いったい何があったというのか。呼ばれるがままに部屋へ入ると、入り口付近に積まれた段ボール箱の上を指差し「これを見てください!」と言う。そこには100円玉1枚と10円玉3枚が無造作に置かれていた。はて? 今日の興行でおひねりが飛ぶシーンなどなかったよななどと思いつつ、バンプをとれずにいると…。

「この130円、じつは一昨日の月曜に僕が来た時からここにあるんですよ。この世知辛い世の中にありながら、誰一人として持っていかずここにあるなんて、美しい話だと思いませんか?」2日前、ウラノは所用で1stRINGに来ていた。その時点で130円が置いてあったため「誰かが置きっ放しにしたまま忘れたんだな」と思った。まあ、忘れた本人ならずとも誰かが持っていくだろうと気にも留めていなかったのだが、この日になってもそのままになっていたばかりか、全試合終了後も誰も手をつけていない美しい光景を目の当たりにして、感動に浸ったのだ。

 

「これほど多くの選手たちが出入りしながらネコババしないなんて…なんだか心が洗われた気がしましたよ」と喜ぶウラノは、次にDDTが1stRINGを使用する2月28日になってもこのまま置かれていればと思いを馳せるのだった。だが、その喜びを分かち合うべく呼んだ相手が悪かった。村田さんは嬉しがるウラノといっしょに微笑みながらも「でも、最終的には斉藤さん(1stRING責任者)が撤去しちゃうんじゃないんですか」と、必要以上に現実的な回答を示して黒村田っぷりをいかんなく発揮。私も悪気はなかったのだが「今日はほとんどが中国の選手だから日本円には興味ないんじゃないんですか」と、すこぶる気の利かない受け答えをしてしまった。

何はともあれ今後、1stRINGを使用する団体さんにはウラノの純真な気持ちを踏みにじらぬよう、130円をそのままにしておいていただきたい。2・28新木場までネコババされていない状態のままだったら、改めてぬか喜びならぬヤス喜びをお伝えする。ちなみに、ウラノがポツリと呟いたひとことも併せて書いておく。「なんかこうしてずっと見ていると月曜の時点でここに置き忘れたのが自分だったような気がしてくるんですけど…たとえそうだとしてもこうなっちゃったら、もう持っていけないですよね」
février 3, 2010 - mercredi 

弍月参日 日本国東京地方降雪 但新木場一帯超熱気 中国三千年歴誇新北京職業闘技団日本公演実行 観衆参百参拾七名超満員札止也 開始前場内中国語諸注意公言 崇山他中国女及参星店長依和風鍋料理販売 超人気完売 

第壱試合曹操孟徳対蒙古男 両雄故郷隣接敵対領土争 蒙古男体得蒙古相撲 振乱弁髪及鶴似妖動作 孟徳得異名中華風獅子王 孟徳容姿招笑 蒙古男得意熊抱 最終的形肉体弾及雲竜型体押 蒙古男勝利鶴舞

 

第弐試合古代羅馬剣闘士組対中国拳法昇龍絶叫及変腿王 変腿王得意技悪口対判蔵死主斗 下半身裏部全面網目闘衣 変腿王一覚乳首攻撃 羅馬剣闘士勘九郎主悶絶絶叫以羅馬語 息不合中国組但最終的勝者昇龍以両膝落

第参試合西遊演義 三蔵法師捕獲依金角及銀角閉陶器内 孫悟空及沙悟浄及猪八戒絶対救出願望 金角及銀角落武者髪型双子 悟空陶器奪取救出成功 否三蔵法師小型化更悟空乗其上 三蔵法師圧死更金銀場外投 嗚呼悲哀 否三蔵法師復活 超巨大三蔵法師 本人曰我夏目雅子以上三蔵法師也及美麗也 皆口口否 牛魔王牛魔王連呼也 最終的金角勝利悟空 金銀其場去加悟空等仲間達逃亡 独人三蔵法師皆向主張望行程天竺



第四試合長河川対決巨大的黄河対巨大的長江 同闘実行於中国黄河有衛星生中継 双方首相撲以開始 好勝負 固唾飲観客 其処登場大家健 謎 不読空気 彼保持恨被殺過去 大家投入悪河川目黒川 目黒川肉体極細及黄色短闘着 目黒川否相手二大長河川 大家怒命令前方前方 目黒川否投合体脳天粉砕投 大家下敷犬死以映像終了休憩入





第五試合六闘士戦 老師東郷臨諸手不使用戦士元大老同条件 両者諸手不使用寝技闘技以全員魅了 拍手喝采 終盤賭勝負泣馬謖斬 元大老剣使用 馬謖被斬覆被周瑜公瑾 体重三倍増故周不可肩上 引換命以馬謖涙付勝利


最終闘技趙雲子龍復讐戦対曹磨刀 過去趙雲左目負傷以不完全視力 但趙雲非諦健闘 最終的結果曹磨刀使用蒼魔刀的確打 尽力趙雲曹磨刀貸手起称健闘 独人残趙雲主張以拡声器対客人謝謝及次回公演予告来年或再来年或壱拾壱月後楽園検討 最終言葉趙雲及客人一体合唱壱弐参四新北京

 


謝謝(中華職業闘技雑誌記人・嫌健厨)

février 2, 2010 - mardi 
本日は村田晴郎さんとのネットラジオ「DX-R」第2回分の収録へ。スタジオへ着くなり、この数日の間ずっと思っていたあることをスタッフさんと村田さんに打診する。同意が得られたためさっそく実行。こういう臨機応変さがネットラジオのメリット。民放ではできないことだ。
今回も2人で喋りまくり、まったく話題が尽きず。イヴェントだったら何かを言うごとにリアクションが返ってくるのものだが収録はそれがない分、話していていいのか悪いのかがわからぬため途中で修正できない。基本、我々の場合は「ドラマティックファンタジア」の現場実況と同じで一発録り。よほどの事実誤認があとで発覚するケースを除けば、ノーカットだ。

なので、内容に関していいモノになったかどうかはサイトにあるメールフォームを通じてのご意見やご感想、そして今ならTwitterにおけるつぶやき、さらには動画ではなく音声ファイルであるにもかかわらず某動画サイトへアップされているようで、そこへつけられるコメントによってリアクションが得られる。基本、メールフォームとTwitterはツールの性格上好意的なものと考えられるので、これらをもって総体的な評価とすることはできない。それでも反応がまるでつかめないよりは、有益だと思っている。第2回放送の更新日は2月5日(金)夜。Twitterをやっている方々にはハッシュタグ#DX-Rで大いにつぶやいていただきたい。

 

さて、明日は新北京プロレス1年ぶりの日本公演へと足を運ぶ予定。中国側との連絡系統が思うようにとれず(要は言葉が通じない)売店ブースを出すことはできなかったが、2・25神実況LIVEⅡのチケットは持参するので、その場で購入したい方は、試合の最中でなければお気軽に村田さんか私へ声をかけていただけたらと思う(オリジナル名刺をもれなくプレゼント)。この日のみ、ご購入者には村田さんと2人でありがとうではなく「謝謝」とお礼を言わせていただきます。

明日の新木場を含めても、手売りするのはDDT2・11後楽園大会と2回のみ。あとはローソンチケットでイヴェント前日まで販売されるが、当日券は例によって若干枚しか出せない公算が大なので前売りを押さえておいた方が確実。手売り分も残りわずかとなっており、後楽園では早い者勝ちの世界になりそう。大変心苦しいのだが、お早めに売店まで来ていただけますよう、よろしくお願いしますm(__)m
février 2, 2010 - mardi 
みちのくプロレスよりリリースをいただきましたのでアップします。

〔登米&八戸でミニシリーズ〕
「みちのくプロレスミニツアー2009」
★2月26日(金)宮城・登米市迫町登米祝祭劇場水の里ホール(18:30)
〔入場料金〕一般2000円、小中学生500円※当日は各500円増し
〔発売場所〕チケットぴあ、ローソンチケット、登米祝祭劇場(TEL0220-22-0111)、アスリートスポーツ(TEL0220-34-7315)、時代屋動物病院(TEL0220-22-8240)、ひかりスポーツ(TEL0220-22-2027)、ほかポスター掲示店
★2月27日(土)青森・八戸市八食センター(18:30)
〔入場料金〕2・27登米と同
〔発売場所〕チケットぴあ、ローソンチケット、八食センター(TEL0178-28-9311)、レッドハウス(TEL0178-24-6346)、三春屋(TEL0178-24-7111)、ほかポスター掲示店
〔両大会参加予定選手〕ザ・グレート・サスケ、拳王、フジタ“Jr”ハヤト、気仙沼二郎、日向寺塁、南野タケシ、大間まぐ狼、ラッセ、剣舞、精霊※両日ともに4試合を予定
〔問い合わせ〕みちのくプロレス(TEL019-687-2431)

〔3・16大館に紫雷イオ参戦〕
風香が参戦する3・16大館大会に、紫雷イオの参戦が決定。当日はサスケ&風香VS沼二郎&イオのミックストタッグマッチがおこなわれる。
janvier 31, 2010 - dimanche 

31日は新日本有明大会へ。前夜に後楽園ホールを超満員札止めとしたのに続き、この日もほぼ客席は埋まったあたりに団体としての好調ぶりがうかがえる。両日とも、ギリギリまでオフィシャルのTwitterで直前情報を流し、興行中もどんどんトピックスとして画像をアップするなど、常に何かを発信しているというイメージを植えつけているのは、それと無関係ではないように思う。

ところで、新日本にとってディファ有明は馴染みの薄い会場。聞いた話では、レッスルランドを別とするとちょうど9年前となる2001年1月31日に開催して以来となる。これがいわくつきの大会で、900人という3ケタの観衆発表が大々的にスポーツ紙にとりあげられたことで、当時の新日本の低迷ぶりが広く伝わってしまったのだ。それもあってか、以後まったくここを使用しなくなった。

単純に数字を比べると、この日は9年前の倍の観客が集まったことになり、有明のトラウマを払しょくしたと言っていい。第2試合にフリーとして参戦した元・NOAHの本田多聞&志賀賢太郎は、アウェイのためブーイングを浴びせられた。ついこの間まで本拠地的な会場だったディファにおいてそのようなリアクションを受けたことで、改めてフリーになった実感を味わったのではないか。

さて、この日一番の注目はDDTの“ケニブシ”ことゴールデン☆ラヴァーズが邪道&外道と対戦するタッグマッチだった。中でもケニー・オメガは初の老舗団体参戦とあり、普段から2人が見せる多彩なムーブの数々が新日本ファンを驚愕させる…そんな期待を持たれていた。ところが勝負はまったく予期せぬ結末を迎える。

邪道&外道のタッグマッチを知り尽くした試合運びに、蟻地獄へと陥ったかのごとく捕まり続ける飯伏。ようやくオーバーヘッドダブルキックで反撃し、ケニーとタッチ。相手を場外へ落とすと、同時にバミューダトライアングルを決めるクロススラッシュを成功させたのだが、レッドシューズ海野レフェリーがゴングを要請。試合は唐突な幕切れを迎えた(ケニブシがレフェリーストップによるTKO勝ち)。

リング下には技を受けた邪道と外道が倒れていたが、邪道の方に三澤威トレーナーらが駆け寄っている。しばらくして、外道は自力で立ち上がったものの、邪道は寝転んだまま。意識はあり、呼びかけに応えている様子だったが、場外マットを担架代わりに運ばれていった。あとに残ったケニブシは、リング上から礼をしたものの表情は強張っている。

バックステージで飯伏に確認したところ、邪道&外道は鉄サクに頭をぶつけたのではなく、技を受けたさいにお互いで激突してしまったのだという。そのうち邪道の当たりどころが悪かったらしく、首を痛めた。飯伏はともかく、ケニーは新日本初登場でクロイツ・ラスも波動拳も出していない。もちろん合体技であるPKこころΩやゴールデン☆シャワーも狙っていたはず。飯伏はDDT2・11後楽園大会を最後に4・4新宿区大会までメンテナンスのため欠場が決まっており、再戦を組むとすればそれ以降になる。

SUPER J-CUPの1回戦で外道に敗れた時は「言うことがないですね」としながらそれでも語っていた飯伏が、今回は本当に言葉がほとんど出てこないほどにガク然としていた。どんな状況でもプロレスをやれるのが飯伏幸太のモチベーションであり、喜びへとつながるのだとしたら、それをやることさえもかなわなかったら落ち込んで当然。

控室へ運ばれしばらく経って、邪道は到着した救急車で運ばれた。本日中に新日本から診断結果がリリースされると思われる。言うまでもなく、海野レフェリーの判断は正しかった。今は大事にいたっていないことを祈るばかりである。

さて、メインでは2・14両国に向けての中西学と中邑真輔、後藤洋央紀と田中将斗が主張合戦を繰り広げたわけだが、ひとつ「おっ!」と思ったシーンを紹介しておく。終盤、中西が田中のスピアをキャッチしカナディアン・バックブリーカーへいった。だが、田中がこれを背後に着地し再びスピアーを狙う。ところが中西はサッと振り向くと野人ハンマーで迎撃してみせた。

じつは、カナディアン・バックブリーカーを着地された瞬間、中西は田中の姿を見失っていた。しかし、ちょうど目線の先には特設のスクリーンがあり、そこへ背後にまわった田中の動きが映し出されていたのだ。ディファ有明は、北側のステージ席後方にスクリーンが常設されているが、この日は新日本が自前のものも南側客席上につけていたのだ。

もしもそこにスクリーンがなかったら、背後からの攻撃にまったく対応できず、勝敗にまで結びついていたかもしれない。結果的にはパートナーの後藤が田中に敗れたため、この一瞬の機転が功を奏すにはいたらなかったが、野人ならではの動体視力に目を見張らされたのだった。

今や、プロレスの興行においてヴィジョンやスクリーンを使う団体は珍しくなくなった。自分の見栄えを確認するべく試合中、何度も何度も視線をやる選手をたまに目撃する。見られていることを意識するのは、プロとしてむしろ大切な姿勢といえる。ただし、あまりそれが目立つと集中力を欠いているように受け取られる可能性も出てくるので、スクリーンばかりに気を取られるのはマイナス。どんな選手がごく自然に目をやり、有効に活用しているか注視してみるのもおもしろい。

janvier 31, 2010 - dimanche 

この1カ月で武良布枝著『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)と、ゆでたまご著『生たまご』(エンターブレイン)を読む。前者は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として知られる巨匠・水木しげる氏夫人がもっとも間近から綴った一代記で、後者は『キン肉マン』の生みの親である嶋田隆司&中井義則両氏が別々に書いて進んでいく自伝。

共通するのは夫婦と「超友」(本人たちによる造語)による二人三脚ぶりを描いたものであり、なおかついずれも漫画家ということだ。時代背景こそ違えど貧しさに苦しんだり、スランプに陥ったりという苦難を乗り越えて現在の地位と評価を築いているのだが、世の中に名を残すか、まったく芽が出ないまま消えていくかは本当に紙一重であり、なおかつ自分の才能や実力、努力だけで決まるものではないというのを実感させられる(それらはあくまでも大前提)。

水木夫人もゆでたまご氏も、編集者に見いだされたことを克明に記し、いかにそれが人生において重要なポイントとなったかを伝えている。本来、文章にしても漫画にしても、作家と編集者はそういう関係にある。自分をすくい上げて、ステージに立たせる編集者がいなければ、どんなに才能があろうとも発揮する場がない。今ならコミケやネットで発表するやり方もあるが、やはりステータスという意味では商用媒体に載ってこそ、となる。

ところが私の場合、雑誌編集者でありながらライターや作家とそうした関係を築く機会がなかった。なぜなら週刊プロレスは、本来はエディターとして依頼する原稿執筆を自分で兼任するスタイルだったからだ。これがほかの部署なら通常通りにいい書き手を発掘し、記事を発注するのだが、週プロだけは違った。ライターを発掘する代わりに、内部で後輩を編集者として育てるのが仕事だった。

会社をやめた今、自分はステージを用意する側ではなく用意される側に立った。だからこそ水木氏と布枝夫人、ゆでたまごの両氏がそれを得る中で体験してきた辛酸と歓喜に対し、息苦しいまでの現実感を覚えた。自分が伝えたいものを世間に届かせるとはどういうことか。“表現職”を目指す人、あるいは現在携わっている人が読めば感じるものが多いはずだ。


janvier 30, 2010 - samedi 

27日の高木三四郎大社長イヴェント終了後は、エビスコ酒場での打ち上げに少しだけ顔を出して先に失礼させていただいた。2315分より、女子プロレスのルーツである「ガーターマッチ」がテレビ朝日の番組「シルシルミシル」で再現されるからだ。残念ながら放送には間に合わなかったが、ワンセグで録画しておいたので見ることができた。

そもそも、どうして同番組がガーターマッチをとりあげたのかというと、視聴者から「いろいろなスポーツに男子と女子の競技があるが、プロレスはどうして女子もやるようになったのか」という調査依頼があったため。それを受けて番組スタッフが取材を進める中、日本の女子プロレスラー第1号である猪狩定子さんと遭遇する。

番組では、定子さんの兄・ショパン猪狩の東京コミックショウ時代の映像も流され「レッドスネーク、カモ~ン」の名フレーズが蘇った。長男であるパン猪狩との2人の兄は当初「スポーツショー」と呼ばれる、スポーツを題材としたコントを見せていた。これに定子さんも、兄から受け身と寝技を教わり参加。すると、男性にヒケをとらぬ強さを誇り、一躍人気者となった。

そこへ目をつけた兄が「男対女ではなく、女同士で闘えばもっと人気が出る」と、初めて女対女の試合を組んだ。これが日本初の女子プロレスとなる。ただし、ルールは現在の3カウントフォール等ではなく、太ももにつけたガーターを獲り合う「ガーター獲り」だった。イメージ的にはショー的要素が強く、お色気をウリにしていたように現在まで伝えられていたが、定子さんは「とにかく(ガーターを)獲る。なんの飾りもないよ」と言う。じっさい、試合は柔道のように畳の上でおこなわれ、選手は毛糸の水着を着用した。

ここから、プロレスリングWAVEの桜花由美と春日萌花による実演に。今回は安全を考慮しマットを敷き、体操着姿でおこなった。当時、試合中にはジャズが流れていたという。試合を裁く定子さんは、両者がマットの外へ出るとストップをかけ「試合は中でやる!」と一喝。そう、場外戦は禁じられていたのだ。さらに、攻められる桜花が春日のお尻を叩くと注意。尻叩きは反則になる。

そして、現在に伝わるイメージともっとも違ったのは「お色気はNG」という事実。激しい組み合いの中で選手の着ているものが乱れた場合は、審判がすぐに直したのだ。この点については、私も鵜呑みにしていたから実演を見て驚かされた。勝負は、桜花が逆エビへいったところで春日が足首まで下がっているガーターを脚から抜いて勝利。定子さんは「当時はあなたたちのような選手がいなかったら、もっと地味だったわよ」と回想した。

「女子プロはスポーツだが、ガーターマッチはお色気がウリの見世物」という認識は、改めなければならぬだろう。定子さんも、50年以上前に自分の青春をかけたものが時空を超えて見直されることを喜んだ。やはり、さかのぼることで新たなる発見に出会えるのはおもしろいものだと思った。